ゴジラとハルヒと、デスノート。

 この間、地上波にて放送された「シン・ゴジラ」を観て、ヒダマルなりにキャラ分析してみました。

 


 東京に上陸した大怪獣・ゴジラ。
 それはまあ、とてつもない存在感です。
 この映画の中では、誰もが常にゴジラのことを考えていて、誰もがゴジラに注目し、ゴジラに頭を抱え、ゴジラが動けば大慌てです。みんながみんな異口同音に、口を開けば「ゴジラ」です。他に話題は無いのかってくらいに、みんな「ゴジラ、ゴジラ」言ってます。

 この構造というか、創作上の技術というんでしょうか、ヒダマルは、何かに似ていると思いました。あのアニメです。「涼宮ハルヒの憂鬱」。

 この「シン・ゴジラ」という映画、「ハルヒ」に似ているのです。特に、一巻のハルヒに。

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 ハルヒを知らない方の為に説明しておくと、「涼宮ハルヒの憂鬱」は平成十五年六月、角川スニーカー文庫から発刊されたライトノベルです。幾度かアニメ化されており今もなお熱狂的なファンがいる大人気コンテンツなのですが、もしも詳しく知りたい方は近くのオタクに聞いてみてください、一瞬で友達になれますから。

 高校入学初日に「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上」という電波な自己紹介を放って教室をどよめかせた少女・涼宮ハルヒですが、本人は本気で言ってます。
 学校には普通の人間ばかりで面白くないからと、同窓の男子学生・キョン(一般人・語り部)をはじめ、学校中から適当に人材を集め自らが楽しむための部活動を創立したハルヒ。しかし実は、集められた3人の部員こそが宇宙人、未来人、異世界人だったのです。
 彼らの目的は、「涼宮ハルヒ」。
 ハルヒに対し、宇宙人は「進化の可能性」、未来人は「時間の歪み」、超能力者に至っては「神」であるとそれぞれ分析しており、口を開けば「涼宮ハルヒ」です。作品中、ハルヒは常に、誰の話題にも上っているのです。
 誰もがハルヒに注目し、ハルヒに頭を抱え、ハルヒが動けば大慌てです。
 この一文の「ハルヒ」を「ゴジラ」に変えれば、「シン・ゴジラ」の説明文になります。


 ゴジラとハルヒでは、周囲への迷惑のかけ方がまったく異なります。しかし「終始、登場キャラクター全員の注目を浴びている」という一点において、共通した存在・共通した作品であると考えるのです。

 作中の誰もがこれほどまでに注目し、また常に話題に挙げている存在と言えば、他には「ハリー・ポッター」のハリーとヴォルデモート、「デスノート」のキラとLくらいでしょうか。「ドラえもん」や「ブラック・ジャック」なんかも当てはまるかもしれません。
 どれも「その社会において、知らない人はいない」「周囲への絶大な影響力を持つ」部分が共通事項と言えるでしょう。さらに、ここでの「影響力」を「貢献・救済」「被害・迷惑」に分けることで、善人キャラと悪役キャラに分かれていくのだと思います。ゴジラもハルヒも、超迷惑な存在ですし。


 ……そう考えると、「ブラック・ジャック」や「火の鳥」なんかは、貢献と被害、救済と迷惑が混在した深いキャラクターであることが浮き彫りになってきます。恐怖と暴力による世界平和を目指した「キラ」も同じ枠に入りますね。
 また、知名度については初めから高い場合と、「ナルト」や「ワンピース」のように、話が進むに従って徐々に大きく名を上げていくパターンもあるでしょう。


 ゴジラから始まりジャンプに辿り着きましたが、これらの作品群では、非常に効果的なキャラクターの立て方、「他キャラの全員に意識され、頻繁に話題に上る」という手法を取っている、ということです。
 自分で小説を書く時なんか、参考にしてみると良いのでは? ヒダマルはやってます。趣味で。

 いやあ、極上のエンターテインメントを消費できる時代に生まれて本当に良かったと痛感するヒダマルでした。