「育児はママ」発言に対して考える事・後編。【真面目な話】


 5月末、自民党の萩生田幹事長代行が、母親による育児を前提とした子育て論を展開し、問題になっています。

 子ども大好き元保育士なヒダマルが、思うところを述べてみます。

 ……という話の、後編です。前編はこちら。 


 


 萩生田氏の発言趣旨は前編の記事を参照していただくとして……、今回はその中から、

「生後2、3ヶ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのか」
「子育てをするお母さんたちをもう少しいたわってあげる制度も必要」

 という二点に的を絞って考えてみます。

 

 

2、3ヶ月で保育園は幸せなのか。

 どうなんでしょうね?

 どう思います?

  ヒダマル、ここも断言は不可能だと思うんですよね。
「いや、幸せな訳ないだろ!」と即断する方もいらっしゃる点だと予想しますが、ちょっと想像してみてください。

 


 2、3ヶ月の赤ちゃんは、まだ親への愛着はほとんどありません。
 誰がお世話しても抱っこをしても、本人としては同じです。感情は「快」「不快」くらいしかありません。

 その子が、保育園の、赤の他人様に預けられたとして……。不安や戸惑いは、あまり感じないでしょう(もちろん、「その子による」という大前提はありますが)

 

 

 一方、例えば1~2歳児。

 お父さんお母さん、大好きでしょう。
「この人たちは常に守ってくれる」と感じています。知っています。

 そこで、保育園の、赤の他人様に預けられたとすると……。


 ギャン泣き必至。


 4月の1歳児クラスは毎日が大嵐ですからね。
 早い子は数日で慣れたり、そもそも初日からほとんど泣かなかったりもしますが、敏感な子なら毎日泣き通しです。

 それはもう全力で、この世の終わりかと思うくらい、盛大に泣き叫びます。

「そうだねぇ、お家がいいよねぇ、ヒダマルもそう思うよ~。お仕事が終わったら迎えに来てくれるから大丈夫だよ~」ということを、時間をかけて覚えてもらうしかありません。

 

「2、3ヶ月から預けるなんて子どもがかわいそう」で、「1~2歳からならその限りではない」という感覚は、結局は大人の意見でしかないのです。

 

 

 何が良いかなんて、その子によります。
 そして、多くの場合、それは誰にも分かりません。

 ぶっちゃけ、教育って結果論ですから。

(保育は教育じゃないけど……)
(そして、「何を以て結果とするか」で意見が分かれそうですね。あぁ面白い)

 

 

 

 保育士時代、朝7時から夜7時まで、12時間くらい保育園にいる1歳児がいました。
 一日の半分ですから、それはもう長い時間ですよね(ひどい親だ、とかいう話ではありませんよ)

 しかし、だからと言って、その子が「お母さん、お父さんより保育園の先生が好き!」とはなりませんでした。


 愛嬌のある子で、長い時間を過ごす間に色々な先生に関わってもらっていました。

 一日のうち、そして一週間、一ヶ月のうち、あれだけ多くの大人と関わる1歳児って、非常に珍しかったと思います。

 貴重な経験をしていたと思います。


 それがどう転ぶかは、その子次第の運次第なので、だからどうだとは言えないのですが。

 

 

 結論を繰り返すと、

「2、3ヶ月から預けるなんて子どもがかわいそう」で、「1~2歳からならその限りではない」とは言い切れない、ということです。


 蛇足ですが、保育園は「子育ての悩み相談などの精神的な支え」「児童虐待の予防や早期発見」という社会的役割も担っています。

 

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 何度見てもかわいい……。

 

 

お母さんを労わってあげる制度も必要。

 この発言に関しては、全体の中で矛盾しているようにも聞こえますが……。萩生田氏の中ではまとまっているのでしょう。

「育児は母親がすべき、だからその負担を軽減しよう」という論理ですね。


「女性も働けと言っているのはどこの政権だ」という批判がありますが、今の政策は「奴隷が少ないから増やさなきゃ!」と言っているようにしか聞こえないので双方的外れだと思いますし、そもそも同じ党内の人間は一律で同じ考えを持っているなんてことはないでしょうし、でも「幹事長代行」という肩書にはそれなりの責任があったりするのだろうかとか、いや「同じ考えの人間を選んで近くに据える」というやり方だったとしたら良い趣味ではないのかも、でも民主主義政治の根本は多数決にあるので、政治の現場で多様な意見なんか聞いてたら結局なにもできないのかな、なんて。

 考えることが多すぎる(しかも空転してる)。

 

 とにかく、この発言は前提がおかしなことになっているので、表面上賛成できるとしても、鵜呑みにはできないということです。

 

 

男女とお金。

 ちなみに、ヒダマルは仕事とお金の問題で結婚を逃した阿呆な訳ですが……。

 これもまたぶっちゃけると、相方が転職して二人分稼げるようになれば(保育士基準)、そして超内向型人間なヒダマルが家事・子育てを一切合切引き受ければ、何の問題もなかったっちゃあなかったんですよね。

 それができなかったのは、まぁ一番は相手の事情があるからだとして、両者の間に少なからず「男が稼ぐべき」という観念があったためでもあります。

 

 

 男性の中で、「将来、この稼ぎで家族を養えるのか?」と悩んでいる若い方、多いと思います。

 それが悪い訳ではないんですが……。

 なんというか……。


 若い女性も、同じ悩み持ってる?


 って、ちょっと聞いてみたい。

 

 

 いや、いいんです。
 個人がそこに悩んでなくたって、まったく構わないんです。

 たぶん、「相手はこのくらいの収入がないと、生活できないだろう」くらいなことは考えてると思います。

 既に結婚されている方には、ヒダマルが言うことなんざないと思います。そうであってほしい。

 

 

 ただ……、

 仕事に対して、しかも現状では多くの方がイヤイヤやってる「仕事」「働くこと」に対して、「家族を養う」という感覚と責任は……。

 

 男だけのもんなの……?

 


 だったら、もしもそうだったら……、


 そこは、変えてかなきゃならんだろうと。

 そこも、変えてかなきゃならんだろうと。


 おもう。

 

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まとめ。

 多様性に注目が集まる世の中で、これからも色々と問題が見えてくることだろうと予想します。

「多様性」と一言でいいますが、今現在スポットが当たっている点の他にも、とんでもない規模で存在しているみたいです。とても個人では想像できない大きさです。

 そして、その規模の全てに対応していたら、社会が回らなくなることも、予想されます(例えば、公衆トイレをひとつ設置するとしたら、「男・女」ではなく数十種類必要になりそうです)

 

 

 で、子育てですよ。

 お仕事ですよ。


 このふたつに関して、「どこまで多様化していいの?」という問題です。
 最も平たく、そして尖らせたら、今回の記事はここに行き着きます。

 


 ヒダマルは「(いわゆる)働くこと」から脱落した人間なのですが、この先どうなることやら。

 色々やってみてはいるものの、未だ「これだ!」というものは見つかりません。暗中模索の五里霧中です。

 もうちょっと明りが欲しいなぁ。

 

 でも大丈夫、

 そんな時はね、


 自分で輝けばいいのさ。

 

 

 ……思いついたから口走ったけど、あとで顔から火が出るヤツだな……。人類史にまたひとつ、無用な黒歴史が刻まれたな……。